子規と漱石のプレイボール

明治20年代後半。愛媛県松山市・自他共に認める“野球バカ”正岡子規は、
些細な口論から米軍野球チームと日米親善試合を行うハメとなる。
しかし、松山には野球チームなどなかった。
慌ててチーム結成に奔走することになった子規の下には、親友・夏目漱石、弟子の高浜虚子、
そして「坊ちゃん」のマドンナ、うらなり、赤シャツ、狸校長、そしてあの「坂の上の雲」の秋山兄弟も参加。
ここに「伊予ピープルズ」が結成されることになった。
やがて米軍との決戦の噂は日本中の話題となり、ついに明治天皇の観戦も決定するほどの国民的行事にまで発展する。
しかし、この大一番を控えたピープルズ内には、よからぬ企みが存在していることを子規は嗅ぎ付けるのだった……。